気まぐれ日記 2012年5月

2012年4月はここ

5月1日(火)「黒部の太陽・・・の風さん」
 新聞に「黒部の太陽」の全国縦断(150ヶ所以上)映写会があると書いてあったので、ネットで調べたら、まだ九州地区ぐらいしか決まっていなかった。
 中学生のころに、同級生らと、映画館のある隣の市までディーゼルカーで出かけて観た。40年以上も昔の話だ。子供だったので、映画の真価は分からなかった。
 新鷹会の勉強会に参加し始めたころ、確か、一度だけ、木本正次さんが来られた気がする。「黒部の太陽」の原作者だ。
 その後、熊井啓監督の本が出て読み、原作も買って読んだ。
 古き良き時代の男たちのドラマがそこにあった。黒四ダムの建設もそうだし、映画の撮影も、だ。石原裕次郎の夢をあらためて知った。
 それら2冊の本を探してリビングまで持ってきた。
 近くで映画の映写会があったら、絶対に見に行こうと思う。
 しかし、東日本大震災のチャリティ目的とはいえ、破砕帯から土砂が流れて裕次郎らが流されるシーンは、被災地の方たちにはつらい映像になる恐れがある。九州から始まった映写会だが、このへんまでやってこられるか、危ない気もする。
 長女がやってきて、夜は地元のレストランで4人で夕食会となった。
 海岸に面したレストランで、波が激しく押し寄せていて、サーフィンを楽しんでいる若者たちもいた。
 料理は凝ったものばかりで、こころから堪能した。
 ごちそうしてくれた長女を名古屋までワイフの車で送った。

5月2日(水)「やっと疲労がとれた・・・の風さん」
 6時に起床した。昨夜の料理のおかげだろうか、ようやく疲労がとれて、元気が出てきた。
 出版社の編集者もGW返上で私の仕事をしてくれているので、何としても期待に応えなければならない。
 とりあえず滞っている原稿3章分を今日から1章分ずつ届けることにする。
 若いころと違って同じことばかりに集中することができないので、途中で雑多な用事も片づけながら、粘り強く執筆を継続した。
 今日の雑事は、午前中に和算の参考書を古本屋に発注したことと、夕方、ねこグッズの店にTシャツとトートバッグを注文したこと。どちらもインターネット上のショッピングである。
 定年後にまともな職業につけなかったら、ビジネススクールで勉強したことを生かして、インターネットのショップでも経営しようか、とワイフと話し合った。
 なんとか、今日の分ということで、原稿を1本送信した。

5月3日(木)「執筆に注力・・・の風さん」
 7時に起床した。少ない睡眠時間でも起きられるのは、昼寝しているせいだろう(笑)。
 昨日に続いて執筆が最優先。
 今日の雑事は、午前中はエクセルの勉強。午後、買い物に出かけたこと。帰りにミッシェルにも給油してきた。世の中はGWの真っただ中。ここは観光地。とくれば、道路は渋滞だが、避けて走った。
 昨日注文した古本が早くも届いた。これは、現在執筆中の原稿の参考図書なので、役に立つ。これまであまりにも高額で、貧乏な風さんには手が届かなかったが、古本が出てしかも状態が「非常によい」とのことだったので注文した。開梱してみたら、確かにきれいなままで、新品と何ら変わりはない。
 夜になって、今日も原稿を1本送信した。

5月4日(金)「原稿3本送信達成・・・の風さん」
 今朝も7時に起床。寝不足だが、眠くなったら昼寝すればいいのだ。
 昨夜就寝前に、パソコンのバックアップを外付けハードディスクに保存した。久しぶりである。100GB分あるので、5時間以上かかった。
 今日もなんとか執筆を頑張って、3本目を送信しなければならない。
 途中でちょっと外出したが、基本的に執筆に専念した。
 夕食後、猛烈に眠くなり、書斎でダウンしたが、ちゃんとよみがえって、原稿を送信した。
 あと2日間ベストを尽くせば、最低限の到達目標にたどり着けるかもしれない。がんばろう。
 パソコンのデフラグをセットし、ベッドで読書を少しして就寝した。

5月5日(土)「また落ち込みかけてきた・・・の風さん」
 7時半起床。なんと、パソコンがエラーで止まっていた。初めて見るエラーメッセージで、パソコンメーカーに問い合わせろ、などと英語で書いてある。ウィンドウズというかOSのエラーだな。
 今日の作業を開始する前に、ハードディスクのチェックと修正をすることにした。
 本文の原稿を送信したので、昨日に続いて、「はじめに」と「おわりに」に取り掛かった。
 執筆中に、2日に送った原稿の修正指示が来た。編集者もGWがない。私のせいだ。申し訳ない。
 とりあえず書きかけの原稿を最後までやってから、修正指示に対応しよう。
 毎日そうだが、疲れるとすぐ昼寝だ。筋力が落ちているので、楽な作業でも疲れる。早くトレーニングを再開したいのだが……。
 昨年来、マスコミは原発で騒いでいる。震災以来危機をあおって、現在は大衆の味方をしているそぶりで原発停止を後押しだ。商売優先だから仕方ないのかもしれないが、ものごとには何でも両面ある。原発を1基停止するたびに数千人が職を失うといった問題も騒ぐべきだ。他に、世界に約束したCO2低減をどうするか。原発を当て込んでいた分を他のもので補わなければならない。COP3京都議定書で歴史に残る仕事をした日本として、責任を果たさなければならない。それから、電力不足を補うために選んだ手段が電気代の上昇を招いた場合、そしてそれをもし企業に負担させた場合、また日本の製造業のコスト競争力が低下することになる。そうならないためにどうするか考えなければならない。あらゆる視点からのメリットとデメリットを国民に示し、その解決は力不足の政治家たちに任せておけないくらい困難なものであることを明らかにすること、そして国民一人ひとりが自分ごととして立ち向かう必要があるとマスコミはしつこく訴えるべきだ。
 気分が落ち込んできたので、山本悦子さんのHPのブログを読んでみた。彼女のブログを読むといつも元気が出る。地元のお祭りや映画鑑賞のコメントが書いてあった。納得。彼女の方がずっと充実した作家生活を送っている気がする。1年に1度じゃなく、半年に1度はぼくの文章サークルに来てもらおうかな。
 修正指示に対応した原稿を送って、今日の作業を中断した。

5月6日(日)「最後のドラフト原稿も完成・・・の風さん」
 とうとうGW最終日だ。完全に当初目論見より1週間遅れている。いつもこうだ。
 しかし、これ以上遅れないようにするしかない。
 雑多な用事がないこともなかったが、とにかく執筆原稿でまだドラフトすらないのが、「はじめに」と「おわりに」だ。場合によっては「まえがき」と「あとがき」になるかもしれないが、それも内容次第。
 一昨日から着手していて、けっこう苦労している。今回の作品のメインテーマが、最近になってようやく決まったからだ。これまで専門家向けの原稿を書いてきたが、やはり一般読書にメッセージを伝えるとなると、シンプル化しなければならない。そのメッセージがイマイチ腹に落ちていなかった。
 今日執筆しながら、だんだん気分もその方向へなっていったが、まだ不十分だ。
 気分転換に途中で買い物に出かけた。
 家を出る前、雲行きが怪しくなった。遠雷まで聞こえる。洗濯物を取り込んでから出発した。はたして雨がぽつりぽつりと落ちてきた。
 買ってきたのはLEDの電球だ。1週間前からお試し価格の商品があったので、いろいろと実験した。とにかく経済的な使用法が見つからないと、宝の持ち腐れになるので、けっこう迷った。
 結局、リビングのダウンライトをLEDに変更して、これまでのインバータ電源の蛍光灯からシフトして多用することにした。深夜つけっぱなしが多いうちなので。
 ドラフト原稿はやっと午後11時前にできた。これなら議論に耐えられるだろう。
 明日から会社である。あとどれだけ自分のことができるだろうか。
 
5月7日(月)「4.5倍・・・の風さん」
 GW中もほとんど寝坊しなかったので、今朝は普通に起きられた。
 楽勝で研修所に到着したら、やけに静かである。
 (おかしい。連休は、まだもう1日あったのだろうか?)
 何のことはない。2週間に1回の製作所での連絡会に行かなければならなかったのだ。
 いきなりGW明けからボケの風さんを実行してしまった。
 午前中、連休前までやっていた仕事の続きをやって(落ち着いてやれたのでラッキー)、午後から旧職場へ出張した。
 旧職場はあいかわらず緊迫していた。
 夕食後のワイフとの会話。
 今日は、友達と競艇に行ってきたという。
 近所に競艇選手になった若者(うちの子供らとほぼ同年代)がいて、その応援をかねて出かけたのだ。2回目だったので、あちこち探検しながらエンジョイしたという。私の知らない話ばかり。
 「1レース目は応援だったけど、2レース目は、初めて考えて投票した」と言う。
 友達は大穴狙いをしたので、ワイフは堅い線で1−2位の予想をして投票したそうだ。
 そしたら……当たった!
 「何倍になったの?」
 「本命がらみだったので、4.5倍だった」
 「すげぇー」
 ド貧民の私からすれば、夢のような投機である。
 「で、¥いくら賭けたの?」
 「100円」
 「……?」
 「450円になったから、うれしくて」
 「……#*」

5月8日(火)「ボケの自己チェック・・・の風さん」
 ボケの自己チェックのために、小寺裕先生の『江戸の数学 和算』を引っ張り出した。
 一つずつ解答しながら読んでいたのだが、途中で挫折していた。
 でも、開いてみると半分以上進んでいた。
 幾何学の問題のところで、ヒントもある。ここで挫折したのか記憶はないが、ボケていないことを確認したいので取り組むことにした。
 実は、昨日からやっているのだが、意外と解けない。
 問題が難しいのか、私がボケているのか、もうしばらく頑張ってみるつもりだ。
 今日は、終日、研修所でおとなしく仕事をしていた。
 夜、出版社から質問メールが来た。時代考証に詳しいことになっている自分としては、回答しなければならない。すぐ答えが出るかと思ったら、これも意外とてこずった。ただし、ボケのせいではない。

5月9日(水)「陶芸の先生・・・の風さん」
 月末からまたビジネススクールが始まるので、テキストや参考書を準備しなければならない。今回は会計学に関するもので、かなりてごわい。
 いちおう作戦は立った。
 研修所から旧職場へ移動する途中で、某図書館に寄った……ら、知人とバッタリ(笑)。
 いつも私の気まぐれ日記を読んでくれてはいるが、直接話せる機会は貴重なので、暫時情報交換。
 借りたい本のうち1冊はすぐ見つかった。もう1冊は分館にあることがわかった。そちらへ回っている余裕はなかったので、そのまま旧職場へ。
 会議に間に合った。
 夕食時に、ワイフに図書館で知人に会った話をした。
 「陶芸の先生に会えたなんて偶然ね」
 「運が良かったと言うべきか」
 「今度、地域の文化協会の会計や部門長をやることになったそうだよ」
 「大変ね」
 「定年退職すると厄介な仕事が回ってくるものさ」
 「あら、陶芸の先生はもう定年退職してたの?」
 「そうだよ」
 「あなたより年上だと思わなかったわ」
 「……#*」

5月10日(木)「ボケは足元から・・・の風さん」
 ミッシェルで旧職場へ出社し、午前中を慌しく過ごした。
 今日も午後有休で本山キャンパスで講義をするので、昼食後すぐ歯を磨いて職場を後にした。
 時間的に苦しいな、と思われたので、有料道路で大高まで行くことにした。
 先に自由ヶ丘キャンパスへ回った。そこには経営学部があり、図書室の蔵書が充実している。名商大大学院で使用する本がかなり見つかるのだ。
 駐車場にミッシェルを停めて、降りてから足元を見て愕然とした。
 安全靴(制電仕様のスニーカータイプ)のままで職場を出てきてしまったのだ!
 いくら急いでいたとはいえ、スーツにこの靴はないぜ、と思い、今日は上着はやめることにした。初夏の日差しでけっこう暑いし。
 図書室では、借りていた4冊を返却し、新たに4冊借りた。すべて会計関係の本だ。
 本山キャンパスでも予約してあった本を2冊借りて、講義後、有料道路を使わずに家路についた。
 しかし、安全靴という失態を演じた直後なので、流れを変えることも大事だと思い、スーパーでレギュラーコーヒーを買い、ガソリンスタンドでミッシェルの洗車をしてから帰宅した。
 玄関に入ってすぐワイフから「あら、面白い靴履いているわね」と早速ツッコミが入った。
 意外と目ざといな。
 夜は執筆に専念。これはかなりタフな仕事になる。

5月11日(金)「異常気性が異常気象を語る・・・の風さん」
 今朝未明まで執筆をし、2時間半だけ仮眠してから研修所に出社した。
 我ながらスーパーマンだな、と思うが、職場の同僚に言わせると、こんなことをしているたびに確実に寿命を縮めているそうだ。ま、そうだろう。
 しかし、世の中には、深酒を飲む人、たばこをやめられない人、***の人、色々といる。寿命を縮めても快楽を追求してしまうのが、人間の弱さだ。え? 私の激務や過剰労働は快楽かって? たぶん
そうだと思う。能力のない奴ほど忙しくして自分の無能を忘れていたいのだ。もちろん私のこと。
 睡眠不足のくせに、午前も午後も高密度で仕事した。
 しかし、定時とほぼ同時に退社した。
 昨年の震災以来よく話しているが、異常な天候・自然現象が続いている。どこかで大きな変化が起きれば、それとバランスをとるように、他でも大きな変化が起きる。この波というか大きな揺らぎは、お
さまるのに時間がかかる。江戸時代でいえば、天明の飢饉や天保の飢饉が起きた時代と同じだろう。
 遠く太陽では磁極のおかしな変化や黒点の異常成長などが起きている。
 そういったものも関係しているに違いない。
 それにしても、山岳での急な天候変化による遭難や、暴走運転による痛ましい事故など(人間も自然の一部と考えると)、早く平静に戻って欲しい。
 ミッシェルに満タン給油して帰宅したが、我が財布の中身も異常現象(減少のシャレ)だ。

5月12日(土)「今週末も息切れか・・・の風さん」
 昨年から似た目的の講演が3つ続く。
 将来に不安を抱える大学生のために、人生の先輩として自分の生き方を語る特別講演だ。
 昨年7月に名古屋商科大学の日進キャンパスで、次に11月に愛知淑徳大学の星ヶ丘キャンパスで、そして今日は同じく愛知淑徳大学の長久手キャンパスでの講演である。
 少しずつ内容をリファインしながら対応してきたが、今日の講演でのメッセージは、一生かけて夢を追い続けよう、というものだ。実際、私の人生がそうなのだから。凡人には大きな夢ほど実現には時間
がかかる。
 スライドの枚数も減らし、途中で学生に質問をして、回答してくれた子には拙著をその場でプレゼントしながら、楽しく語った。本物の和算書にも触らせてあげた。
 講演後30分間の質問への回答も含めて、何か一つでも心に残ったらいいな、と強く願う。
 そして、勇気と元気をもってこれからの人生を生き抜いてほしい。
 強風が吹く中、バスと地下鉄を乗り継いで名古屋まで出た。ちょっと買い物をしてから、名鉄で帰宅した。
 普通の人にはウィークエンドは体調を調整する貴重な時間だと思うが、私のようにウィークデーもウィークエンドも関係なく動き回っている者にとっては、危険な日でもある。
 そう。帰宅してから一気に疲労が襲ってきた。まだやることがたんとあるのに……。

5月13日(日)「執筆?いや遅筆・・・の風さん」
 風がおさまって行楽日和である。
 ワイフは早朝から実家総出のお伊勢参りに出かけた。
 私は書斎にこもって執筆。昨夜は疲れてダウンしたが、ベッドの上でなく、書斎の床の上だ。そのうちここで変死体として発見されるかもしれない。下手をすると死後だいぶ経過してからだ。腐乱していることはないだろうが。
 とにかく執筆と休憩を間断なく繰り返しながら、粘り強く前進し続けた。
 しかし、昼を過ぎても、夕方になってもなかなかペースは上がらなかった。
 夜になって元気なワイフが帰宅したが、「今夜も徹夜態勢だ」と私はため息をつくしかなかった。
 日本酒に合いそうなお土産はお預けとなったが仕方ない。
 書斎には今夜も枕が置いてある(笑)。

5月14日(月)「力不足を痛感・・・の風さん」
 未明までに5本分の原稿の送付を完了した。本当は改訂版をすべて作成して送りたかったが、力及ばずだった。ビジネススクールで厳しい経験をしながら、こういった極限状態での仕事のやり方を勉強しているはずなのに、まったく身に付いていない。情けない。
 会社から帰ってきたら、やはり出版社の編集部では今朝が締め切りだったそうで、とりあえず編集者が私の力不足を補って編集長の了解を得たというメールが入っていた。あらためてプロとして恥ずかしく思った。
 新年度に入って、ビジネススクールでショックを受け、今また作家の仕事でもショックを受けたわけだが、この次、会社の仕事でショックを受けたら、私はもう容易には立ち直れないほどの状態になるだろう。
 編集部内の締め切りは来たとしても執筆が終了したわけではない。
 今夜も頑張って、2本分の原稿の送付をした。

5月15日(火)「会社の仕事も猛スピードで処理・・・の風さん」
 寝不足だが、最近不思議と朝はちゃんと目が覚める。いよいよ老人型になってしまったのかも。
 研修所に出社したら、案の定(予想していたのだ)上司から「9時の会議で報告してほしい」と言われた。先週の業務報告内容である。
 それですぐに準備をして、9時からの会議で涼しい顔をして報告した。
 目的を達成できて、午前中は満足感にひたることができた。
 会社の仕事で挫折を経験することにならないように今後も気を付けねば。
 午後からは、たまっている懸案事項を一つ一つ処理していった。
 じっくり落ち着いてやればできることは多いのだが、しばらく別件にはまっているとすぐそれが膨大な量たまってしまう。
 帰宅してすぐ執筆の続き、と思ったが、だめだった。
 書斎でダウン。

5月16日(水)「また愚痴だ・・・の風さん」
 今朝(と言えるか?)の1時半に、ゾンビのように書斎の床から起き上がり、執筆を再開した。
 結局、出社前までに、最後の原稿1本の改訂と「まえがき」「あとがき」の改訂をして送付した。
 時間がきたからやめたのであって、実はまだ執筆は終わっていないのだ。ゲラにする前の原稿は、金曜日の朝までに届いている状態にしなければならない。
 出勤途中で、ミッシェルの積算距離計が177777kmになることが分かっていたので、そうなったところで、道路脇に停車してケータイで記念写真を撮った。多くのドライバーが同じだろうが、10万km走破とか、何台目かの車へ乗り換えるとか、そういった節目節目は大事にしたい。無事故無違反だって長く続いてうれしくないはずがない(さあ、そろそろ会社に対する不満がほとばしり始めるぞ)。
 最近、勤務先から従業員にまた安全ステッカーの貼り付けが強制された。自家用車のダッシュボードの周辺見えるところに貼れ、というのである。私は早速貼り付けた。これで3枚貼られていることになる。ここまで書いただけでも首を傾げる読者は多いだろうと思う。
 私が平気で交通安全に関するステッカーを3枚もダッシュボードに貼っているのは、会社に対する帰属意識が強いせいではない。かなり古くなったミッシェルだから平気なのである。これがもし新車だったら、きわめて不快である。オシャレな車だったらなおさらだ。多くの従業員は、恐らくいやいや貼っているだろう。なぜ従業員がいやがるようなことをするのか。
 安全運転が社内に徹底されるように? 違う。こういうことを会社としてしているから、従業員の起こす事故は減らないのだ。
 従業員の自覚をうながすためには、性悪説は間違っている。性善説でなければならない。そして、何よりも、会社は、従業員のその家族、そして地域の人たちの安全と幸福を願っていることを示さなければならない。その気持ちを伝える施策や行動をとらないから、逆効果になっているのだ。
 その証拠に、社有車にはドライブレコーダが装備されるようになった。見張っている機械があれば、安全運転になるだろうという、間違った考え方だ。記録された映像を見れば、ドライブレコーダの効果などなく、暴走運転がしっかり記録されている。
 従業員の安全を会社として願って支援するのなら、たとえば、ドライブレコーダは会社が無償で提供すればいい。また、パニック状態での車の運動性能を体験させるため、会社の所有するテストコースと実験車を提供するのもよい。こういったことを積み重ねれば、従業員は会社がいかに自分たちのことを大切にしているかに気付いて、それを裏切るようなことは絶対にしないと覚悟するようになるはずだ。
 無事故無違反を30年50万km以上続けていて、私はつくづくそう思う。

5月17日(木)「もう限界・・・の風さん」
 昨夜もダウンし、午前3時に起き出して、今日午後の非常勤講義の準備と執筆の続きをやった。
 さすがに出勤時、眠気が襲ってきて困った。
 昼食後、午後有休に突入した。非常勤講義のためには、有休でつなぐしかない。
 ミッシェルで余裕をもって本山キャンパスへ行き、講義前にもゆっくりし、ついでに講義もゆっくりやっていたら時間がなくなった(笑)。
 終わってすぐ家路についた。
 途中で先週も立ち寄ったコンビニに寄って、車のおまけがついているコーヒーを買おうと思ったら、もう1個もなかった!
 それで、フィギュアつきのコーヒーに変更した。帰るとまたワイフに笑われるが仕方ない。
 ど貧乏な風さんは、せめてコーヒーのおまけの車やフィギュアで散財欲をまぎらわすしかないのだ。
 今夜も仕事を始める前にまずダウンした。

5月18日(金)「ゲラ前原稿を送付完了・・・の風さん」
 朝までにすべての原稿を見直して、出版社へ送付した。これでゲラにしてもらうのだが、「あとがき」が気に入らない。ゲラでもう一度しっかり書き直す必要がある。
 出版社からも「受け取りました」というメールが届いて、ワイフに偉そうに報告したら、「ずいぶん編集者に迷惑をかけたわね」と鋭い指摘を受けた。否定できない。
 今回の執筆余談を一つ。
 迷惑をかけている編集者から「ルビなしの原稿もください」という依頼があった。
 私の原稿は難しい読みの漢字が多いため、できるだけ正確な読みを調べてルビにしている。
 ところが、出版社の作業プロセスの途中でこれが邪魔になることがあるらしい。
 先月雑誌に掲載した原稿も、私が渡した原稿通りにゲラになっていなかった。ちゃんとデータで送付してあるにに、すべて手入力されていたらしい。かつて連載原稿を書いているときも、同じだった。テキストデータをください、とまで言われてしまった。
 執筆はワードだが、ルビをなくす効率的な方法がなかなかないので、今回、毎日のように原稿を送りながら、このルビを消去する方法を徐々に工夫していった。改善努力というやつだ。使用するテクニックは、検索と置換でワイルドカードを使う方法だ。
 執筆では苦労したが、ただでは終わらせなかった。
 夕方から、日本経営工学会中部支部の例会に出かけた。
 サービスに関する講演を聴いてけっこう勉強になった。
 懇親会では、昨年の私の講演を聴いてくださった某先生が、その後、和算にはまったそうで、ずっとその先生と話し込んだ。和算ファンができたことは日本のためにも重要だからだ。
 その後、大野先生らと近くの居酒屋へ行き、楽しい時間を過ごした。大野先生におごってもらい、恐縮の2字しかない。

5月19日(土)「企業分析・経営分析・・・の風さん」
 久しぶりに執筆に追われていない、しかもビジネススクールのない週末だ。たまっている仕事をたくさんやろう。
 昼前に散髪をかねて外出し、あれこれと用事を済ませて夕方近くに帰宅したら、家のカギを持っていないことに気が付いた。
 ワイフも次女も出かけているので、自宅に入れない。
 地元の図書館で相互貸借で届いた参考書を受け取る予定だったが、そのまま閉館まで勉強をした。企業の財務状況などを分析する方法の勉強である。つまり、貸借対照表や損益計算書を読んで計算して分析する方法である。来週から始まるビジネススクールでは、こういった経理や会計のような知識が必要になるのだ。
 何でも初めての学問は楽しい。床屋で読み始めたのだが、図書館でも継続した。
 帰宅し、夕食後さらに続けたが、半分くらいしか読み進めなかった。
 こうやって遅れが出て、来週のビジネススクールに突入すると、また悲劇になってしまう。
 頑張らねば。
 
5月20日(日)「オフクロの姿から我が身を思う・・・の風さん」
 今日も昨日の続きで、たまっている仕事を少しでも減らそうと終日がんばった。いくらかは減ったが、劇的な減り方ではない。
 夜、兄貴に電話して、最近のオフクロの様子を聞いた。
 入院させて6ヶ月近くなり、兄貴もようやくオフクロの状況を完全に把握できたようだ。一見しっかりした、しかし重い認知症なのである。
 そして、驚くことに、その状況にはほとんど変化がない。これは、オフクロの驚異的な意志の力だと思う。激しい物忘れに対して、残された全知全能を総動員して抵抗しているのだ。そして、プライドをエネルギー源とした、見事な想像力とストーリ構築力、演技力によって、滔々とまくしたてる。しかもただしゃべるだけでなく、いつでも行動を起こせるのだ。
 その姿は、自分の何年か後の現実のように思えてならない。やはりオフクロの気質や性格を受け継いでいるから、そう思うのだ。
 ということは、そうなってからでは遅いのである。
 ワイフと話しながら、「来年時点でやめること、その次の5年後、10年後、15年後にやめることを、あらかじめ決めておかないと、継続することはすべて周囲への迷惑になる気がする」という考えにたどり着いた。
 たとえば、運転免許証をいつ時点で返上するかだ。少なくとも10年先が不安だったら、5年後には何が何でも返上するべきだろう。ゴールドが続いているので、それが続いている間は、次の5年というのが目安になる。
 兄貴は今週オフクロの主治医に会って相談することになった。

5月21日(月)「背骨に激痛・・・の風さん」
 午前7時半ごろに金環日食が観られるという予報だったので、期待して起床したが、空はどんよりと雲に覆われ、太陽の位置さえ分からなかった。ダイニングにサングラスまで用意してあったが、出番は全くなかった。
 テレビ中継が出ていて、国立天文台の渡部潤一先生が解説をされていた。いつもながらの分かりやすい説明。すごい。
 しかし、実際の太陽を、たとえサングラスを通してでも肉眼で観ないことには、観たことにはならないな、と思う。
 ミッシェルで製作所へ向かったら、製作所近辺は青空が広がっていた。
 研修所へ移動する間に、図書館のポストへ本を1冊返却し、本物のポストに郵便も2通投函した。
 午後、本社へも往復したが、夜は、戸締り当番だった。
 今夜は9時前に退社することができた。
 帰宅して、遅い夕食を摂った後、書斎へ直行した。
 かなり遅くまで頑張って、さあ、そろそろ入浴して寝ようかと椅子から立ち上がった瞬間、背骨に激痛が走った。
 背筋も腹筋も最近鍛えていないので、何が起こるか分からない。危険ゾーンにあることは知っていたが、心配していたことが起きたのだ。
 それからベッドで横になるまでが悲惨だった。

5月22日(火)「今日からダイエット・・・の風さん」
 恐る恐るベッドから身を起したが、背骨の異常は治っていなかった。
 筋トレがままならないうちに、こうなってしまったのだが、急きょ筋トレを再開するだけの余裕がない。
 何でも極端は私は増えたまま戻らない体重を強引に落とすことにした。ダイエット作戦。具体的には昼飯抜き! と言うと、新たな病気になる危険もあるので、ボリュームが多い研修所の昼食をやめて、100円分のカロリーメイトだけにすることにした。
 善は急げの精神なので、今日からである。
 夕方まで何の問題もなく、むしろ仕事がスムーズに行ったぐらいである。
 帰宅して夕食に突進するような異常行動も発現しなかった(笑)。

5月23日(水)「朝からトラブル・・・の風さん」
 出社前にファックスを送りたかったので、少し早起きした。
 書斎のパソコンを電話線につなげて、いつものようにペーパーレスで送ろうとしたが、失敗した。
 なぜかと思って調べてみると、2階の電話が通じていない。
 階下へ降りて、さらにチェックすると、昨年12月の電話工事(電話代を安くするため)のときに、接続をミスしたらしい。工事後の確認を怠ったため今日まで分からなかったという情けない話だ。
 ま、それだけ必要性がなかったとも言えるので、今更工事のやり直しを依頼するのはやめて、古くなった電話を買い替えるタイミングで、ワイヤレスを増やすことにする。
 とはいえ、先ずは、ファックスだ。
 急いで原稿を印刷して(実はプリンターも不調なままで、しかしお金がないので未だに修理も新品購入もできないまま)と言いながら、すごく時間がかかったのだが、階下のファックス機からやっと送った。
 出社して、今日が定年退職(つまり誕生日)の上司に拙著をプレゼントしようと、目の前でサインをしていたら、日付を間違えた。
 明日の日付になってしまった本は、大学の後輩で職場の同僚に半額で押し売りし、上司へは書き直した本を贈呈することにした。
 どうも朝から不調だ。
 終日、研修所で仕事に専念し、帰りには買い物をして帰宅した。
 夕食後は、書斎でいきなりパソコンに向かわず、5S(整理整頓)を先にやった。

5月24日(木)「小鮎の飴煮に感動・・・の風さん」
 最近緊迫感が増している旧職場へ出社した。
 バタバタと仕事している間に会議になって、久しぶりに心地よい緊張感をおぼえた。
 研修所ではないので、昼食はちゃんと食べて(ここでは量のコントロールができるから)、それから本社へ移動した。
 今日は朝から大学関連の仕事が発生したので、夕方、大野先生と電話で相談した。
 帰りに、初めての図書館へ寄った。閉館時刻が7時と遅いので、これからも平日に利用できそうだ。
 県内ではこことT市の図書館にしかない本を閉架から出してもらった。7月に出版予定の本のために必要なのだ。
 驚くほど詳しい参考文献で、見に来て良かった。禁帯なので、必要な個所を複写したが、係員が皆親切だったので、作業はスムーズに終了させることができた。
 帰宅したら、知人から琵琶湖で採れた小鮎の飴煮というものが送られてきていた。
 多忙な知人なので申し訳ないほど手のかかった品物である。私はとてももったいなくて涙が出そうだったが、酒の肴系統が好物のワイフは、さっそく開封して味見。「美味しいー!」
 つられて私も1匹ほおばったが、「うまい!」と思わず声が出た。あらためて知人へ感謝の最敬礼。
 連日出版社へ画像データを送っている。けっこう時間がかかるので、4日間に分けてやっている。今夜はその3日目だった。

5月25日(金)「今日も多忙?・・・の風さん」
 週末でそろそろ体力も風前のともしびだが、幸い、背骨の痛みはだいぶ良くなってきた。
 研修所に出社したのでダイエット(カロリーメイトだけのランチ)は通算3日目となった。
 昼休みにイタリア赴任経験のある同僚のプレゼンを楽しく拝聴した。
 ローマのバチカン市国、サンピエトロ寺院に入ってすぐ右側にミケランジェロのピエタ像があることを紹介されたが、私の記憶にない。サンピエトロ寺院には3回行っているが、屋上に登って広場を眺めるのを楽しみにしていて、つい見逃していたらしい(あるいは見たのに忘れた)。
 午後、旧職場へ出張し、開発の仕事の進捗を見守った。胸のすく緊張感の中、午後一番の試作品は失敗作で、夕方の第二弾はだいぶ改善されていた。今夜、第三弾が出てくるが、きっと使い物になるだろう。
 ミッシェルに給油して帰宅し、今夜で出版社への画像データを送り終わった。
 明日からビジネススクールが再開される。
 
5月25日(金)「今日も多忙?・・・の風さん」
 週末でそろそろ体力も風前のともしびだが、幸い、背骨の痛みはだいぶ良くなってきた。
 研修所に出社したのでダイエット(カロリーメイトだけのランチ)は通算3日目となった。
 昼休みにイタリア赴任経験のある同僚のプレゼンを楽しく拝聴した。
 ローマのバチカン市国、サンピエトロ寺院に入ってすぐ右側にミケランジェロのピエタ像があることを紹介されたが、私の記憶にない。サンピエトロ寺院には3回行っているが、屋上に登って広場を眺めるのを楽しみにしていて、つい見逃していたらしい(あるいは見たのに忘れた)。
 午後、旧職場へ出張し、開発の仕事の進捗を見守った。胸のすく緊張感の中、午後一番の試作品は失敗作で、夕方の第二弾はだいぶ改善されていた。今夜、第三弾が出てくるが、きっと使い物になるだろう。
 ミッシェルに給油して帰宅し、今夜で出版社への画像データを送り終わった。
 明日からビジネススクールが再開される。

5月26日(土)「ビジネススクール再開・・・の風さん」
 自宅を出発する前に東京の知人からケータイに電話が入った。人事異動に関する話で、それにより私の執筆計画を急がねばならないことが分かった。本当はGW中にやりたかったのだが、力不足で着手できなかった。しかし、今度こそ。
 今回のビジネススクールの科目は、財務と会計に関するもので、私には最も土地勘のない分野である(金銭と縁がないというか……)。
 しかも指定テキストが翻訳物できわめて難解。まるで契約書のような文体である。
 そこで次の科目で指定されている初心者向けのテキストの方を、先に購入して読破していた。
 結果として、この予習がとても勉強になった。
 ビジネススクールでもあまり肉体を動かさないので、昼食はカロリーメイト100円分で済ませた。
 講義と質疑中心の1日が終わって、名駅まで歩いて帰った。
 帰りの電車の吊り広告で、仙台直行バスの格安便を発見した。今年の全国和算研究大会は仙台開催なので、夜行バスで往復しようと思う。
 先日悲惨な事故があったばかりだが、この安さは無視できない。
 夕食後、書斎で仕事を始めたが、昼間の疲労が出て、午前零時ごろダウンしてしまった。

5月27日(日)「無事に最初の週末を終了・・・の風さん」
 午前4時ころ書斎の床で目が覚めた。それからひとっ風呂浴びて、書斎で執筆をした。それだけで、早くも家を出る時刻が迫ってきた。
 ビジネススクールの午前中の講義のとき、京都からケータイに電話が入った。
 今度長谷川伸賞を受賞される山折哲雄先生だな、とピンときたが、出るわけにはいかない。
 結局、昼休みにこちらから電話して、授賞式へ向けて色々と話ができた。気さくな先生のようである。
 今日も、講義と質疑中心で、昼食も昨日と同じ、帰りも名駅まで歩いて、御座候を買って帰った。
 講義中に今朝執筆した内容と関係のある話が先生の口から出てきたので、大いに力を得た。
 4月の2科目も最初の週末は無難に過ごせたが、次の週末でどん底に落ちた。
 今度はそうならないようにしなければ。
 ビジネススクールの先生から得たパワーを執筆原稿にこめて、出版社へ送った。

5月28日(月)「原稿は勇み足・・・の風さん」
 昨夜もまた書斎でダウンし、今朝はまた床で目が覚めた。せっかく徹夜しない週末だったのに、ベッドで寝ることはできなかった。
 旧職場に出社した。
 モノづくりが大変な状況で、現場に何度も顔を出したが、老兵の出番はなかった。
 今日は昼食をちゃんと摂った。なぜなら、朝から疲労感が重く体に張り付いていたからだ。
 こういうときは栄養も大事だ。
 昨夜送った原稿が「勇み足」になっていて、また修正をしなければならなくなった。
 今夜は、執筆も勉強もさらに先に進めなければならなかったが、できなかった。
 深夜になって、ようやく疲労がとれてきた。
 
5月29日(火)「人の人生にコミットする、ということ・・・の風さん」
 研修所へ出社し、事前に準備していた仕事を仕掛けながら、会議に出席。
 その後、名大の先生からの依頼に応えて、ある本(先週読了していた)の感想文を書いてメールで送信した。
 カロリーメイトの昼食後、研修所を出発。昼休み中に2ヶ所に寄って用事を済ませてから、講演会会場に到着した。
 今日の聴講者として一番乗りしたご褒美は、受付でたった一人で著書にサインをしておられる佐々木常夫さんに1年ぶりに再会できたことだ。
 佐々木さんは作家鳴海風と本名の私が二人別々に存在しているように思っておられたそうだが、今日で間違いなく一人に集約された。
 え? どういう意味かって? つまり本名の私はあくまでも高校の後輩として独立に認識されていたのだ。
 実に40分近く歓談できて満足した。
 今回も佐々木先輩は著書を赤字覚悟の1冊千円で販売しておられたが、売上はすべて震災寄付とのことである。
 ミーハーの私は、感じ入ってしまい、軽い財布を開けて、2冊購入した。『完全版 ビッグツリー』と『これからのリーダーに贈る17の言葉』である。
 会社の同僚らがやって来たときは、先輩は控室へ入っておられたので、同僚らを案内した。
 講演開始まで、同僚らが先輩と交流した。私は横で事務局の女性と歓談していた(笑)。
 中身の濃い講演だった。
 表面的には効率的な仕事の進め方を伝授してもらったわけだが、ベースは人生をどう生きるかである。
 会社のマネジメント向けの講演だったので、管理者へのメッセージは「上司は部下の人生にコミットすること」である。
 これは重い言葉である。私も役職定年になるまでは、その方針でやってきたが、はたしてどれだけできたか、部下たちのその後の人生の中に答えがあるだろう。
 またいつか先輩に会いたいものだ。
 今夜、長女が名古屋から帰省してきた。
 勤務先のオーナーが恐らく発狂したのだろう、他の同僚と一緒に仕事をやめることになってしまった。もうほとんどまともな従業員が残っていないので、そこはやがてつぶれる。そして、オーナーは精神病院に入院することになる。
 これで2ヶ所続けて頂上は勤務先で不幸な結果になってしまった。
 これまで自由にやらせていたが、3ヶ所目は、少し介入させてもらって、佐々木先輩ではないが、長女の人生にいくらかコミットするつもりでサポートしようと思う。

5月30日(水)「久しぶりにへそを曲げた風さんの巻」
 今日もカロリーメイトの昼食。その後、研修所の周辺でボランティアの530活動があった。
 なかなかの好天気で、のどかなムードの中のごみ拾いだったが、やることてんこもりの私の頭の中はいつも焦りまくっている。
 そのようなときに、会社の小さな仕事で気に入らないことがあり、私はへそを曲げた。
 こうなると俗世間から逃避するしかない。
 午後は誰もいない図書室にこもった。

5月31日(木)「年が明けてもう5ヶ月・・・の風さん」
 5時に起床した。
 旧職場へ出社したので、昼食はちゃんと食べた(研修所の食堂の昼食はメニューが決まっていて、量が多いのである)。
 午後の会議に本社から役員が来た。親しい人である。
 会議終了後、その役員と廊下で1時間も立ち話をした(しっかりした昼食のお陰で打っ倒れそうになることはなかった)。
 かなり重要なベクトル合わせとアクションアイテムの決定ができた。
 それで私は少し忙しくなるが、来年の定年前の最後のご奉公と思ってやることになるかもしれない。
 帰宅は遅くなったが、ワイフに立ち話のことを伝えたら喜んでいた。会社で私は不満が爆発しそうになっていることを知っているからだ。
 年が明けてもう5ヶ月が終わろうとしている。焦ってはいけないが、かと言ってのんびりしていたのでは何もできない。

2012年6月はここ

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